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さすライダー物語:引きこもりがバイク旅に目覚めた結果

ブログを見つけてくれてありがとうございます!
僕はバイクで旅することが大好きな男「さすライダー」です。

大好きなバイクでいつでも好きな時に好きな場所へ!

そんなバイクでの「自由な移動生活」を目指して日々活動しております。

ちなみに現在の愛車は「BMW R1200GS(GS号)」と「YAMAHA セロー225WE(セローちゃん)」です。

※現在の活動内容やお仕事の実績はこちらです。

R1200GS
こちらが「GS号」です(カッコイイ)
こちらが「セローちゃん」です(カワイイ)

引きこもりがバイクに目覚めるまで

今でこそ「バイク旅」にどハマりしている僕ですが、実はかつてバイクが大嫌いな人間でしたYO

・・・ってことで、これは一人のド陰キャ引きこもり男子が、バイク旅を通じて超絶イケメン爽やか旅系ライダー「さすライダー」に目覚めるまでの物語です。

え?なになに?そんなのカンケーね〜、そんなのカンケーね〜、はい、おパピ〜なんて言わないで、良かったら見ていって下さいね(きらり)

超絶イケメンの誕生秘話をどうぞ

バイクなんてクソだ!と思っていた学生時代

電車とバスを乗り継ぎ、家から片道1時間半もかかるめっちゃ遠い工業高専に入学した僕は「バイク通学の方が圧倒的に交通費が安い」という理由で、親からバイク通学を提案されました。

普通ならバイク通学なんて親から絶対反対されるのに、あろうことか僕の父は「バイクを買ってあげるから、バイク通学しなさい」と提案してきたのです(変わった父)

そんなわけで普通は男子たるもの「え?まじで?ヤッタァ、ウェ〜イ」などと喜ぶところです、、、が!僕は全力でこれを拒否しました。

さすライダーの父

バイクを買ったる!だからバイク通勤しなさい!

学生さすライダー

嫌ですYO

だって、バイクって体が外にむき出しだし、転んだら危なそうだし、そもそもなんか不良っぽいし(先入観凄いな)、、、ってか、僕は完全なるインドア派だし、絶対に、あ〜絶対にバイク通学なんて嫌だYO

なんて「バイクなんてクソだ!絶対に乗るもんか!」と思っていました。

THE ジャパニーズテンプレート人間爆誕

趣味は勉強!友達なし彼女なし!暇があればゲーム三昧、目立った反抗期なし、大人しい内気な性格・・・これを良く言えば優等生、悪く言えばクソ真面目、それが、学生時代の僕でした。

真面目に生きないとダメ〜、世間の道から外れたらダメ〜、ましてやバイクなんて絶対にダメ〜、沢山勉強して、努力して、汗水垂らして、将来は一流企業に入って、バラ色の勝ち組人生を送るんだ(キメ顔)

親がそれなりの会社に勤めていた僕は「良い学校に入って、良い会社に就職すること」がこの世の全てであり、それこそが人生の正義である!と子供の頃から悟っていました。

学生さすライダー

良い学校に入って、良い会社に就職することがこの世の正義だぜ(きらり)

要は学生時代の僕は、典型的な「THE ジャパニーズテンプレート人間」だったのです。

そんな僕が通っていたのは5年制の国立工業高専で、当時ゲームが命だった僕は「ゲームクリエイター」を目指して、ひたすらプログラミングを勉強していました。

ちなみに高専の授業は1回90分×1日6回、しかも授業間の休憩時間はたった10分という超ハイスペックです(今なら半日で辞める自信あり)

故に毎日ひたすら勉強勉強!だったわけですが、とにかく勉強が好きだった僕は当然のように成績優秀で、おまけに素行も素晴らしく良かったので、誰がどう見ても絵に描いたような優等生でした(昔の僕になりたい)

学生さすライダー

趣味?勉強ですが何か?

しかし、順風満帆だった高専生活も、1年を過ぎたあたりで徐々に成績が悪化し始め、と同時に生活リズムも悪くなり・・・しかし、ド陰キャの僕には相談できる相手なんていなかったので、一人であれこれ思い悩むようになり・・・ついには学校を休みがちになりました(リアル金八先生かよ)

そしてそれから2年後、僕は結局高専を中退してしまいました(高卒認定中退)

引きこもりバイクに目覚めるの巻

高専中退後はひたすらアルバイトに明け暮れる日々を送り、それまで勉強しか知らなかった僕にとっては「働いてお金が貰える」という事が新鮮で、案外楽しい毎日を送っていました。

しかし、休日は相変わらず家でゲーム三昧で、外に出る事はほとんどありませんでしたYO

、、、それから1年後、僕は今度はIT系専門学校に入学しました。

とにかく授業がガッチガチだった高専時代に比べると、極めて緩〜い感じの学校だったので、アルバイトを続けながら稼いだお金で車の免許を取得!

とりあえず親の車を借りて、自分の行動範囲が広がったことに喜びを感じていた僕は、ここで遂に「あるもの」に目覚めることになります(にやり)

僕が運転している車の横を、サ〜ッ!と軽快に駆け抜けていく、しかし野太い音がする物体、、、バ、バイクって、なんだかカッコいいやん!

学生さすライダー

おバイク、ウェ〜イ(目覚め)

親が車好きだったこともあって、僕も車が好きだったので「将来はカッコ良いスポーツカーを買いたい」と密かに思ってましたが、だがしかし!何故か車に乗るようになったら、むしろバイクに興味が出てきたのです。

そう、親がバイクを買ってくれると言っても、全力で拒否した、あの大嫌いだったバイクに・・・

それから僕は毎日ネットでバイク情報をググり、、、いや、当時はヤフりまくって、バイクの知識をどんどん吸収していきました。

令和さすライダー

当時はGoogle先生よりYahoo先生でした

なんせ勉強が大好きだったので、人並み以上の知識を得るまでそう長くはかかりませんでした。

そして遂に!バイトで稼いだお金を全て教習所にぶち込んで、人生で初めてバイクという乗り物に跨りました。

そうです、実はここからが、僕の人生の本当の始まりだったんです!

それまで超保守的だった僕が、完全にインドア派だった僕が、それこそ引きこもりだった僕が、、、なぜ突然それらとは正反対の乗り物「バイク」に興味を持って、勢いで免許を取るまでに至ったのか?

これこそが人生の7不思議ってやつですね(きらり)

バイク購入と初めての北海道ツーリング

それまで原付すら一度も乗ったことがなかった僕は、教習中に数え切れない程の転倒を繰り返し、、、規定の教習時間を大幅にOVERしちゃいましたYO

それでも絶対に今までの僕なら「あぁ、もうや〜めた」と諦めていたでしょうが、何故かバイクの教習は最後まで頑張れたのです!

そんなこんなで晴れて念願のバイク免許を取得できた僕は、当然のように自分のバイクが欲しくなり、親に借金をして・・・初の愛車「スズキ バンディット250」を購入し、遂にバイクライフをスタートさせました(実はスズ菌感染者です)

バンディット
初めての愛車 スズキ バンディット250(スズキ万歳)

初めて買ったバイクは、なんと!あろうことか「ネットオークション」で購入したのですが、案の定調子が悪かったです(当然)

エンジンが掛かる掛からないは、ぶっちゃけ毎日の運次第、、、おまけにかかってもすぐに調子が悪くなり、バイク屋に入院の日々・・・

しかも、とにかく人と話すことが苦手な僕にとって「バイク屋に行く」という行為は、かなり勇気のいることでした。

だって、バイク屋ってなんだか怖そうだし、素人お断りな感じだろうし、店内はきっとタバコで煙たいに違いない、、、っと、そんなイメージを勝手に抱いていたからです(国宝級の先入観)

学生さすライダー

バイク屋は不良の溜まり場だよね?

そんなこんなでバイク屋に通い、愛車の調子も落ち着いて来たある日、僕はたまたま立ち読みしたバイク雑誌の記事に引き込まれました。

学生さすライダー

ば、バイクで行く北海道ツーリングとな!?

え?バイクで北海道に行く?しかもテントを積んでキャンプ?なんだかこれって「男のロマン」ってやつじゃない?、、、っと、引きこもり陰キャテンプレート人間だった僕が、何故か男のロマンに惹かれ、その後バイクで北海道まで行くのにそう長くはかかりませんでした。

学生さすライダー

夏休みにちょっとバイクで北海道一周してくるわ

さすライダーの父

えええええええええええええええ!?えええええ??

親はきっと、僕の頭がおかしくなったと思ったのでしょう(もともとおかしいけど)

そりゃそうです、まるで引きこもりの教科書のような息子が、突然バイクに乗って北海道を一周するとか、、、それはそれは心配だったことでしょう。

しかし、バイクに乗り始めてから、外に出ることが好きになりかけていた僕は、学校の夏休みを利用して、遂に2週間の北海道ツーリングへと旅立ちました!

北海道ツーリング
人生初の北海道ツーリング

今でこそ自他共に認めるスーパー晴れ男な僕ですが、当時は強烈に雨に打たれて大変な思いをしたり、泊まる場所がなくて道の駅で半べそ状態で野宿をしたり、、、あろうことか夜の人気のない道で転んでしまって途方に暮れていたら、工事現場のおじさんがプレハブ小屋に泊まらせてくれたり、、、と、それはもう僕にとっては「リアル・ファイナルファンタジー」でした(可愛いヒロインは登場しませんでした)

ちなみにこの時の僕は22歳、だいぶ遅咲きの青春がバイクを通じてやってきましたYO

就職と退職

北海道から帰ってくると、現地で大変な思いをしたのに、何故か僕の頭の中は「バイク旅オンリー」になっていました。

バイトで稼いだお金は全てバイクに投入!学校の長期休みを利用して、東北、四国、九州にもツーリングに行きました。

そして、この時点で「良い会社に就職する」という目標は、僕の中で完全に消え失せていました。

学生さすライダー

もっともっとバイクで旅がしたいYO

しかし、専門学校を卒業した僕には「就職」という選択肢しかありませんでした。

辛くも地元のデザイン会社に、正社員として就職できた僕は、そのあまりに辛い日々に愕然としました。

朝の6時に家を出て、帰宅するのはその日の深夜か翌日、文字通り寝るためだけに帰って、再び翌朝6時に家を出る生活・・・

しかも、当時は「週休2日制」が今ほど普及していなかったので、なんなら土曜日も出社、、、さらには日曜日も結構な頻度で休日出勤、、、それでいて、手取り月13万円、どうですか奥さん!?

そして、トドメのボーナス!なんと!僕の人生初のボーナスは、なななんと!1万円ぽっきりでした(これぞバーゲンセール)

社員さすライダー

奥さん!今なら正社員をボーナス1万円で雇えまっせ(ゲス顔)

しかし、今でこそ「嫌いな言葉は集団行動と就職ウェ〜イ」と笑顔で語る僕ですが、当時は会社員として生きる以外の選択肢を知らなかったので「これが会社勤めってやつか、世の中の人は皆これに耐えているのか、シンプルに凄いな、僕も頑張って耐えないと、、、」と、どんどんヤバい方向に考え始めました。

しかも、例により相談できる相手がいなかったので、当然のように精神的に追い込まれていきましたYO

社員さすライダー

人生辛い、辞めたい・・・

しかし、そんな辛い日々をなんとか生き抜けたのは、たまの貴重な連休にバイク旅をしていたからです!

そして、いつしか頭の中に「バイクで日本1周したい」という想いが芽生え始め、、、ある日突然上司に「辞めます」とメールを送ってそのままバックれる!という斬新なスタイルで退職しました。

社員さすライダー

今日で会社辞めます、お世話になりました(メール)

こうして、見事に職を失った僕は「バイク日本1周の旅」に向けて動き出しました!

ちなみに今思い返すと、確かに会社の辞め方はよくなかったですが(斬新過ぎ)この時の決断は僕の人生にとって絶対的にプラスであり、1mmも、あ〜0.1mm後悔していません(きっぱり)

本当に本当に!あの時、あの会社を辞めて良かった!と今でもつくづく思います。

運命の1台との出会いと日本1周

退職後はバイトを掛け持ちして、とにかく日本1周の資金調達、そして情報収集に明け暮れる忙しい日々を送りました。

そして、会社を辞めてちょうど半年後の2006年3月「日本1周の相棒」を探していた僕は、遂に運命の出会いを果たすことになります。

その名も「HONDA XELVIS(ゼルビス)」あの世界のHONDAが誇る、250ccの不人気絶版バイク、、、いや、出るのが早すぎて、時代が追いつけなかった知る人ぞ知る名車です!

しかし、とにかく人と被ることが嫌いな僕にとって、どんな最新型のバイクよりも「不人気絶版車」というレッテルが最高の誉め言葉でした(GS号とセローちゃんは被りまくるのがたまに傷)

ちなみにこの偉大なるゼルビスとの出会いが、今後の僕の人生の大きく変えることになるとは、この時は知る由もなく。。。

ゼルビス
僕の人生を変えたバイク「HONDA ゼルビス」

ネットオークションでバイクを買うと痛い目を見る、、、とバンディット250で学んだ僕は、日本1周の相棒をレッドバロンで探すことを決意しました。

すると、初っ端から店頭で程度の良いゼルビスを見つけてしまい「これだ!このバイクで日本1周しよう!」と第六感的な直感が働き、なんと!その日に契約してしまいました。

令和さすライダー

実はGS号もセローちゃんも直感だったので、バイク屋さんで接客受けたことないです(笑)

こうして、初代相棒のバンディット250に別れを告げた僕は、2006年4月にゼルビスと日本1周の旅へと出発しました!

ちなみに当時の僕は24歳、それまで世間のどうでもいい常識やテンプレートに囚われまくっていた僕が、初めて自らの決断と行動でやりたい事を実現したのです。

とにかく毎日が大冒険、見たこともない風景、繰り返される出会いと別れ、度重なるトラブルなどなど、大変なことも沢山ありましたが、それでも毎日ゼルビスと一緒に泣いて笑って時に転んで、、、北は北海道から南は沖縄まで、僕は文字通りバイクで日本1周をしましたYO

渚ドライブウェイ
当時はまだマイナーだった石川県の「なぎさドライブウェイ」

スピーディーな恋愛と失恋

日本1周中に訪れた、沖縄は名護市にある小さなバックパッカー宿で、意気投合した四国の女性。

なんと!旅が終わった1年後に、僕はその女性とお付き合いすることになりました(きゃ)

今でこそ多数の女性ファンからチヤホヤされる僕ですが(妄想族)当時は「年齢=彼女いない歴」の典型的なモテない男でした。

そんな僕の人生初の彼女が、まさかの旅の途中で出会った女性で、しかも遠距離恋愛(四国と宮城県)とは今考えても人生のイタズラとしか思えませんYO

令和さすライダー

今はモテすぎて辛い(妄想族)

そして、実はその彼女が今の奥様、、、ではなく、当時色々な面で未熟だった僕は「突然四国に移住する」という暴挙に出た結果、たった1ヶ月で振られてしまうという結果に至りました(めでたしめでたし)

まあ、きっと僕の行動を重く感じたんでしょうね・・・何がともあれ人生初の彼女ゲットと失恋を、まるでZ世代の倍速再生並みのスピードで経験した僕は、当然のように生きる気力を失い、自暴自棄になり、お先真っ暗状態になりましたYO

あの時は本当に毎日が苦しくて、本気で人生を辞めようと思いましたし、実際辞めようとして警察沙汰になったことは内緒です・・・

とにかく、ここまで人生の色々な経験をすべき時にしていなかった僕は、色々な面で未熟でした。

まさに遅咲きの青春時代!しかし、これもまたバイクがもたらしてくれた「人生というツーリングの1ページ」と今では思っています。

オーストラリア1周と運命の出会い

なんともスピーディーな失恋によって、心身共に終わってしまった僕は、、、たった半年で四国から宮城県の実家に戻ることになりました(ねぇ笑って?)

ってことで、普通ならしばらくは穏やかな生活を送るはずですが、、、だがしかし!会社をメール一本で退職し、しかもバイクで日本1周するという、まるでチェンソーマンのデンジ君のように頭のネジが外れちゃってた僕は、既にとんでもなく無謀な計画を頭に中に描いていたのです。

失恋さすライダー

バイクでオーストラリアを走ってみたいYO

当時は日本1周を済ませたライダーが、次に目指すのは海外!それもオーストラリアというのが一つのステータスでした。

360度の地平線の中をバイクで駆け抜ける!またしても引きこもりが何故か男のロマンに憧れた理由は、ただの好奇心なのか?それとも失恋による強烈な負のエネルギーの向かい先だったのか?、、、ぶっちゃけそれは今でも分かりませんが、とにかく当時の僕は行動力に満ち溢れていました(今の僕にも欲しい)

それから1年間、僕は携帯電話ショッパー(多分天職だった)としてお金を貯めながら、毎日必死にオーストラリアの情報をかき集めました!

なんせ「海外に行くこと自体が初だった」ので(てへぺろ)

令和さすライダー

ってか、今まで海外に行ったことがないのに、その一発目がバイクの旅?どう考えも無謀じゃね?頭おかしいな(今もね)

そして、2008年12月、遂に僕は初めての海外「オーストラリア」の大地を踏みしめてしまいました。

そうです、そうなんです、、、計画から様々な準備や手続きまで、結局全部1人で出来てしまったんです。。。

よくある経験者に色々聞くとか、誰かに何かを手伝ってもらうことは一切なく、今も昔も僕は自分1人でやることに意義を感じようです(長所でもあり短所でもある)

オーストラリアツーリング
出来ちゃったYO

とは言え、日本とは全く異なる文化、食事、空気感、そして何より英語、、、最初はとにかく毎日帰りたい一心で「なんで僕はこんな場所に来たんだ?」と自問自答を繰り返す日々でした。

そんな、海外生活に慣れるために滞在していたシドニーの生活に疲れて「もう嫌だ、帰る!」と全てを投げ出そうかと思っていた矢先、ずっと待ち焦がれていた吉報が入りました!

愛車ゼルビス、オーストラリアに到着!

海外さすライダー

うぉぉぉ、待ってたYO〜〜〜!

実はゼルビスは3ヶ月前に日本からオーストラリアへ船便で送っていました。

というのも、日本からの一時的な車両輸出手続き「カルネ」という特殊な手続きが必要だったので、愛車が現地に来るまで時間を要したのです(カルネに興味ある人はこちら

しかし、晴れて現地で愛車と再会した僕は、一瞬で燃え上がる冒険心を取り戻しました(Mr.単細胞)

海外さすライダー

よっしゃ!オーストラリア1周開始!バイブス上げてくで〜!

ゼルビスが届いた時点で、滞在していたシドニーのシェアハウスの契約期間は結構残っていましたが、僕は迷う事なく速攻旅立ちました。

なんせ、先払いしていた決して安くない宿泊費(早く出ても返金なし)より、とにかく一刻も早くバイクで旅に出たかったのです!

そして、いざ、バイクで異国の地を走り出すと、それまで抱いていた不安や迷いは綺麗さっぱり飛んで行きましたYO

オーストラリア
ライダーはバイクに乗ると吹っ切れる

これぞ、まさに水を得た魚状態!それから約10ヶ月に渡って、僕はゼルビスとオーストラリアの広大な大地を駆け巡りましたYO

ちなみに隣町は軽く300km先、おまけに走っても走っても永遠と続く同じ風景、そしてただ青い空と一本の道があるのみ!これがオーストラリアです。

そうです、そこには僕が思い描いていた、360度地平線の世界が確かに存在していました!

ナラボー平原
360度地平線キタァ〜!

ちなみに英語は「Yes or No、Thank You、How mach?」くらいしか話せませんでしたが、当時世間に出たばかりの「iPhone3G」を翻訳マシンとして活用して、何とかやり過ごしました。

これはあくまで主観 of 主観の見解ですが、おそらく「海外ツーリングでスマートフォンを活用した初めての日本人ライダー」だと思ってます(えっへん)

運命の女性との出会い

オーストラリアの旅も後半に近づいてきた頃、僕は絶対にバイクで行きたかった「エアーズロック」へと向かう道の途中にある小さな町「テナントクリーク」にて、運命の出会いを果たしてしまったのです。

ちなみにテナントクリークとは、一般的な旅行者はまず行かない小さな町、、、いや、クッソど田舎で、基本的にエアーズロックへ向かう人が「通り過ぎる町」です。

その日、たまたま僕は「時間的にキリが良い」という理由で、テナントクリークの寂れたゲストハウスに泊まりましたが、偶然にも1人の日本人女性が泊まっていたのです。

そして、あろうことか今まで自ら女性に話しかけたことのない僕が、何故か彼女に話しかけてしまったのです・・・

海外さすライダー

こここ、こんにちわぁ、、、あ、あのぉ、、日本人の方ですか!?

???

、、、あぁ?はい(棒読み&無表情&無感情)

や、やばい反応だYO、、、そもそも非モテド陰キャな僕が、自ら女性に話しかけるとか、なんちゃって海外生活でファンキーになってしまったのか?

、、、とにかく、僕の決死のコンタクトに対して、あまりに素っ気ない返事を返したその女性の正体とは・・・?

なんと、なななんと!?実はその後結婚することになる、今の奥様だったのです(一同:ええぇ!?)

奥様

うちのへっぽこ旦那のブログを見てくれてありがとう

聞けば僕と同じく「ワーキングホリデー制度」を利用して、一人でオーストラリアを旅しているとのことで、最終的にはお互いの旅話で盛り上がりましたYO(良かった良かった)

しかし、あくまでその時は「旅の間の一期一会」だったので、彼女翌日は再び旅立って行きました(僕は連泊)

一応お互いの連絡先は交換したものの(LINEの無い時代です)この広いオーストラリアで再び出会うことは2度と無いだろうと思っていたのですが・・・

ところがギッチョン!本当に不思議なことに、真面目な話で1mmも会う約束をしてないのに、その後次々と偶然の再開のオンパレード!

海外さすライダー

あ、おてんばおね〜さん、また会いましたね!

奥様

よう少年!元気か?(僕のことを少年と呼んでいました)

たまたま旅のルートが似通っていただけなのか?はたまたこれが運命ってやつだったのか・・・

とにかく、今落ち着いて考えても全く理由が分からない、まさに奇跡的な再会を幾度となく繰り返し、スタート地点のシドニーに戻って来た頃には、お互い意識し合う仲になっていました(きゃ〜)

ってか、日本1周で初彼女ゲット!オーストラリア1周で将来の奥さんをゲット!とか、どうやら僕という人間は、バイクで旅に出ないと女性に出会えないようです(普通の恋愛がしてみたい人生でした)

因みに話が180.2度逸れますが、念願の「バイクでエアーズロック」を達成した瞬間は、今でも鮮明に覚えているほど感動の一言でした!

エアーズロック
世界の中心でバイク愛を叫びました

2人でバイクで日本1周

オーストラリアから帰国後、奥様とは自然にお付き合いが始まり、元が引きこもりの僕とは違って、生粋のアドベンチャー女子の奥様がバイクに興味を持つまでそう長くはかかりませんでした。

そして、当然のように2人であることを思い付き、それは夢ではなく「計画」としてスタートしました。

奥様

よし、私もバイクの免許を取って日本1周するぞ!お前に出来たんだから、私に出来ないはずがない!ってことで案内は任せたぞ部下よ(少年から部下に出世)

お互い海外放浪中に出会ってしまった旅好きの2人が、当然ながらここで落ち着く理由は一切なく、こうなることはむしろ必然でした。

特に奥様は「バイクの免許を取って、その1ヶ月後に日本1周の旅に出る」という、もはや無謀という一言を超越した計画を立てていました(すげ〜な・・・)

そして、あっという間に訪れた出発の日、2011年6月、そう、あの2011年です。

遡ること出発の3ヶ月前、僕の地元である宮城県に住んでいた2人は、もちろん、あの日を経験しました、、、東日本大震災、、、

部下さすライダー

幸い僕も奥様も体は無事でした(色々壊れたけど)

震災直後から日本中に広がる「自粛ムード」に、さすがの僕らも日本1周を中止しようか悩みましたが、、、結果は予定通り出発しました!

むしろこういう時だからこそ、ただ大人しくするのではなく、何か行動すべきだと思ったのです。

被災地の東北人の僕が奥様とバイクで日本一周をする、きっとそこに何か意味があるはずだと・・・

そして、その後無事に47都道府県をバイクで走り切った僕らは、晴れて夫婦ライダーになりましたYO

ちなみに2人を出会わせてくれた偉大なるゼルビスは、走行距離10万キロを達成(HONDAは壊れない)

佐多岬
本州最南端「佐多岬への道」
四国は室戸岬の夕陽

さすライダー誕生

初めての就職で「正社員恐怖症」になってしまった僕は、結婚後は派遣社員として生計を立てていました。

仕事をしながら、休みが取れれば2人でバイク旅、とそれなりに楽しい結婚生活を送っていましたが、一度仕事のストレスで体調を崩した時から、徐々に経済状況が悪化。。。

そもそも派遣社員の収入で、バイクを維持しながらの結婚生活なんて、いつか終わりが来ることは当然の話なわけです。

その後、宮城県から奥様の実家がある関東に引っ越すことになり、新天地での再起を図りましたが、、、もともとサラリーマンが壊滅的に向いていない僕は、関東の仕事の忙しさについていけず職場を転々、、、ついには無職となってしまいました。

令和さすライダー

憧れの職業はサラリーマンです(来世は会社で働ける人間に生まれたい)

バイク旅を仕事に

あ〜あ、もう何度目かは知らんけど、また無職になっちゃった、、、いや、こうなることは分かっていたはず。

どうせまた就職してもすぐに辞めるのは目に見えているので、何かを根本的に変えないと無理だ、考えろ考えろ・・・

と、あれこれ考えていた矢先、僕がバイク旅を始めた頃から、うっすらと頭の中に描いていたことが、、、突如頭の中に降りてきましたYO

部下さすライダー

バイク旅を仕事にできないだろうか?

というのも「バイク旅と仕事」この両者の関係に僕は長年悩んできました。

長期のバイク旅に出るなら仕事を失い、会社員になると旅に出られなくなる・・・そもそもライダーに限らず、旅人なら誰でも陥るこのジレンマは、僕の人生の永遠のテーマでもあります。

しかし、逆に言えばバイク旅をコンテンツ化、つまりは仕事にできれば、そもそも会社に属さず自分で稼げるようになれば、そこに僕の目指す生き方があるのでは?と気付いたのです。

そして、それを凡人が実現できる唯一の方法は、PCがあればどこでもできる「インターネットビジネス」しか無いと思い、具体的には文章を書くのが得意なので「ライター」を目指すことにしました。

そして、ビジネスとしてライターを始めるにあたってのペンネームを考えた結果、実は大して悩むこともなく「さすライダー」という名前が勝手に降りてきました=さすライダー誕生!

バイク旅のコンテンツ化が僕の目指すものでした

今でこそ「ノマドワーカー」や「アドレスホッパー」と呼ばれる住所不定のフリーランス、それから会社員でも出社不要なテレワークが一般的になっていますが、当時はまだまだ未知の分野で、それはそれは不安定極まりない世界でした・・・

しかし「バイク旅をコンテンツ化=仕事にできる方法」はそれしかないと思い、それから必死に行動した結果、わずかながら結果が出てきて今に至ります。

とは言っても、ぶっちゃけ令和の今でも目立った実績がなく、後発のライターやモトブロガーにあっさりと抜かれて凹む日々ですが、、、それでもこれが僕の生きる道!だと信じて日々行動するしかありません。

そうです、名実ともに「さすライダー」となれるその日を信じて。

人生という名のツーリングはこれからも続く

僕は未だに、あの日バイクに乗り始めた日から「人生という名のツーリング」を続けています。

もしもバイクに乗っていなかったら?・・・人生とは決まったレールの上で流れていくもの、夢や希望は大人になるにつれて諦めるもの、外の世界や新しいことに触れるは怖いこと、、、などと、きっと知らない誰かが作った幻想に、永遠と流され続けたことでしょう。

令和さすライダー

自分の人生は自分で決めたいYO

しかし、僕はバイクに乗り、遅咲きの青春を手に入れ、自分がやりたいことを実現し、愛する人とも結ばれました。

バイク旅を通じて日本という国の素晴らしさを知り、さらには異国の文化にも触れ、この世にはまだ見ぬ素敵な世界が沢山ある事も分かりました。

だからこそ、僕はこれからもバイクに乗って、今度は1人ではなく奥様と2人で、まだ未だ見ぬ世界を見るために日々全力で生きていこうと思います。

ということで、ここまで長文を読んでいただき本当にありがとうございました!

これにて「さすライダー物語」は終了、、、いや、これからも続きますので、どうぞごひいきに♪

※さすライダーとしての活動内容や実績集、ご依頼・お問い合わせはこちらです。

呼人浦キャンプ場
まだまだ人生という名のツーリングは続きます
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